2006-01-01から1年間の記事一覧

赤十字にあこがれ専検を目ざす

赤十字にあこがれ専検を目ざす 戦地での日本軍の活躍が大々的に新聞ラジオで報道されるにつけ、私は赤十字看護婦となって戦地へ行くことにあこがれのようなものをもつようになってきた。しかし、それには高等女学校卒業程度の資格が必要であることがわかった…

兄の出征

兄の出征 昭和12年7月に起こった盧溝橋事件から、戦域はますます広がり、遂に日中戦争となってしまった。そして、8月18日、徳島連隊最初の動員で兄も上海方面へ出征することとなった。 父母は遠地でもあるし、隊での面会はもう許されないので、見送り…

無事卒業へ

遅刻遅刻の連続 医院の勤めと自分の勉強にも慣れてだんだんと分かるにつれ、同じ一年生でも年齢は15歳から24、5歳くらいまで巾があり、15歳の私は一番年下であることが分かった。一年以上病院で見習いをしてから養成所へ入った人も多いようであった。…

花柳病とは

花柳病とは(あまり書きたいことではないが、どうしても書いておかなくてはならないような気持ちにかられて、勇気を出して書くことにした。それは、当時としては人前で口に出して言えない言葉、「同衾」または「交接」、現在では「セックス」産業とか言われ…

徳島の盆踊り

徳島の盆踊り 旧暦の七月十四日、十五日のお盆には県内いたるところで、それぞれ賑やかに盆踊りが行われていたが、昭和十年の時は昨年満州国の帝制が実施され、成果が上がっていた時だけに、その祝いも兼ねて盛大に行われることになった。 主として商店街と…

看護婦見習い時代 5 電話が恐い

電話が恐い この医院へ来て一ヶ月くらいは毎日があわただしく過ぎたが、また、すごく長かったようにも感じられた。 大体の生活のリズムも分かってきたある日、本場さんの自宅から手紙で、お母さんが病気中なので一度帰宅するようにとのことで、土、日曜の二…

看護婦見習い時代 4 まずご挨拶から

まずご挨拶から 一日の仕事が終わって風呂から上がると本場さんが「ご挨拶に行きましょ」と階段を上がって二階の廊下へ座り、先生と奥様の居られる八畳の部屋の襖を開け、「寝ませていただきます」と両手をついて頭を下げたので、私もその通り「寝ませていた…

看護婦見習い時代 3 仕事のリズム

仕事のリズム 朝六時起床、大急ぎで布団を片付ける。なにしろ昼間の待合室が、夜十時過ぎの診療終了後、玄関を閉めると部屋中をクレゾール液で消毒して、私たち看護婦二人の寝室に早変わりするのである。 先生一家は二階で生活しているので、六時半には奥様…

看護婦見習い時代 2 回春堂医院 ②

翌朝、兄が勤めに出る時間に合わせて私も一緒に下宿を出た。村を出るときに母が入れてくれた着替え類の入った「手提げカバン」を一つ持って、昨夜の回春堂医院の敷居をまたいだ。生まれた時から何処へも行ったことのない「井の中の蛙」がおそるおそる町へ出…

看護婦見習い時代 1 回春堂医院 ①

1、回春堂医院 昭和十年(1935年)四月十日、私は徳島市医師会附属産婆看護婦養成所の看護婦科第一学年の入所式をおえた。 次兄が一年前から徳島県庁の学務課に勤めるようになり、徳島城跡の近くに下宿していたので、入所試験の時もその下宿に泊めてい…

恩師の言葉

恩師の言葉 昭和十年三月。小学校高等科二年を卒業するのもあと僅かというある日、担任の教頭先生がいつもの教壇に立ち、 「君たち、もうすぐ卒業だね。卒業したらどうするんじゃ、跡取りの長男、長女は家の仕事を継ぐのが当然だがそうでない者は、この狭い…

満州事変と上海事件

満州事変と上海事変起こる 1931年(昭和六年九月)満州事変が、翌年には上海事変が勃発していた。 押し寄せる世界的大恐慌の中で、農村はだんだんと疲弊して、青年たちは誰もが兵隊になることを望む世の中となってきた。 幼い五、六歳の男の子でも「おれ…

冥福を祈って四国遍路へ

冥福を祈って四国遍路へ 昭和九年の四月、姉の一周忌を済ませた義兄は、私より一歳年下の小学六年生の長女(私にとっては姪)を連れて、妻の冥福を祈るために四国遍路に出るということで、母と私も同行することとなった。 当時四国八十八ヶ所全部を歩いて巡…

若くして逝った姉

若くして逝った姉昭和八年の二月、旧正月の十六日は薮入りの日だった。 長兄は結婚後四年目になり、もう二人の女の子の父親だった。義姉は長女を歩かせ、次女をおんぶして井ノ久保の実家へ里帰りした。 母は孫二人が出かけて急に静かになった台所で、何かと…

一泊二日の修学旅行

一泊二日の修学旅行 昭和七年四月、小学六年生になった私は、香川県の屋島、栗林公園へ一泊二日の修学旅行に出かけることになった。行かない子もあって、男女合わせて二十名くらいだった。 朝早く、土讃線の三縄駅まで三キロ程の道を列んで歩き、高松行きの…

花嫁さんは勝手口からご入来

花嫁さんは勝手口からご入来 電燈が入った翌年、長兄は徴兵検査も終わったことだし、そろそろお嫁さんを貰っては、との話が持ち上がっていたようであった。 当時、跡継ぎの長男は徴兵検査を境にして甲種合格になった人は、二年間の兵役を終えて帰った時点で…

村に電気がきた

村に電気がきた 私が小学二年の春頃から、作業服を着た見慣れない男の人が三、四人であちこちの田圃や畑の中に、太くて真っ直ぐな柱を立てては黒い線を引っ張って、柱と柱をつないでいた。 電気という明るい物が入るので、もうランプは必要がなくなるとの話…

葉煙草作りの総仕上げ

その一 葉煙草のし 葉煙草栽培の農家では春蒔きの仕事が一段落すると、葉煙草のし(葉の皺を伸ばす作業)をして、専売局へ納付の準備をしなければならなかった。 乾燥してしぼんだ葉は、乾かし過ぎるとぼろぼろに砕けてしまうので、適度に霧吹きで全体を湿ら…

村の四季 芋掘り 麦蒔き

芋掘り 祭りの興奮も去って、朝夕肌寒さを覚えはじめる頃になると、山の落葉樹は紅や黄色にそれぞれ衣替えして、松や杉、桧など、交互に色どられ、秋が次第に深まってくる。 畑に取り残されていた煙草の軸も取り払われて、次は芋掘りの季節である。 あの真夏…

村の四季 村祭り

村祭り 煙草の乾燥もおおかたは終わり、忙しい稲刈りも一段落した十月二十五日は、村を挙げて毎年行われる氏神様の大祭の日であった。 鎮守様は「境の宮神社」で私の家から三キロ半くらい離れていて、小学校へ往復する途中にある。お祭りの大きな催し物はや…

村の四季  運動会には仕事を休む 

運動会には仕事を休む 二学期が始まり九月の下旬頃、農家も仕事が一段落と言う時期に、小学校では秋の運動会が行われた。 何の娯楽施設とてない山村の人たちは、お弁当持参でこの日ばかりは仕事を休んで見物に行く。特に今年は私の初めての運動会なので、父…

村の四季  葉煙草作り2

その三 自然の恵みの水 ひと休みすると、いよいよ煙草の虫取りが始まる。全員が家から持ってきた古着のシャツとズボンに着替え、手拭で頬かむりをして古い麦わら帽子をかむり、煙草の脂(やに) がついてもいいような恰好となる。まるで案山子(かかし)そっくり…

村の四季 葉煙草作り1

その一 虫との戦い 夏休みに入る七月の終わり頃には、葉煙草がもう一メートル以上に伸びて葉が大きく茂り、毎日虫取りに忙しくなる。 我が家は葉煙草作りの農家である。あんなに苦い煙草の葉が、虫にはどうして美味しいのだろうかと不思議に思う。殺虫剤など…

想い出のふる里3

あこがれの一年生 大正天皇が崩御された翌年の昭和二年、私はもうすぐ小学校へ上がれるので、胸ときめかせてその日を待っていた。 いよいよ四月六日は入学式である。仕立て下ろしたばかりの花模様の袷(あわせ)と羽織の上下対の晴れ着を着せて貰い、赤い鼻緒…

想い出のふる里2

囲炉裏が団欒の中心 私の家では台所の土間の横に「かまど」があって、これを「おくど」といい、夏の暑い間はそこで煮炊きをするので、囲炉裏はその上に板をのせて居間の一部として使い、寒くなるまで使わずに休ませ、十一月から翌年の四月頃までが囲炉裏の活…

想い出のふる里1

想い出のふるさと 昭和六十三年(1988年)四月、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が完成して以来、私のふる里のすべてが大きく変化したが、ここには私が体験し、身にしみついた「想い出のふる里」を書いてみたい。まだ一度も行ったことのない孫たちの為に。 まず東…