村の四季 葉煙草作り1

その一 虫との戦い
 夏休みに入る七月の終わり頃には、葉煙草がもう一メートル以上に伸びて葉が大きく茂り、毎日虫取りに忙しくなる。
 我が家は葉煙草作りの農家である。あんなに苦い煙草の葉が、虫にはどうして美味しいのだろうかと不思議に思う。殺虫剤などない頃の農家は人が手で取り除くより他なく、毎日が虫との戦いであった。
 村はほとんど自給自足の農家で現金収入は煙草栽培と、養蚕業の家とにわかれていて、葉煙草を栽培している家の方が、いくらか多かったように思う。蚕には煙草が悪いらしく、桑の木を植えてある畑の隣地に葉煙草を栽培すると蚕に害があるので、時にはいさかいを起こす原因になることもあった。
 虫に食い荒らされた煙草の葉は、出来上がって専売局へ納付する時に、値段を安くしか買ってくれない。機械で刻む時に、虫食いの穴があると一定の長さにならず、粉になる率が多いからだという。
 私は母に「菊江は目がええきに、虫を見つけるのが上手だよ、また、手伝っておくれよ」とおだてられると、「ええ、行く行く」と葉っぱの茂った畝の中へ入り、母は私の頭より上の方の葉を、私は下の方の大きい葉の虫を一枚一枚さがしながら進んで行く。
 煙草の葉にごく小さな穴があいていても、必ずその裏側には葉と同じ緑色をした虫がむしばんでいる。母は虫を見つけると指先でつまんで引き裂くが、私は気持ちが悪いので足許へ
落として藁草履の底で踏み潰す事にしていた。五ミリくらいの長さのものから、時には三センチ程の大きな虫が、美味しそうに葉を食べていることもあった。
 だんだん陽が昇ってくると、畑の中は草いきれでむんむんと暑くなり、着ている物は、煙草のネトネトした
脂(やに)がついて真っ黒くなり、何とも言いようのないニコチンの臭いが身体全体についてくる。
 それでも家に近い畑はまだいいが、あの向い側の山にある段々畑に作ってある煙草も早く行って見なくては、虫にやられてしまう。


その二 ドイヤリという段々畑
 母は夏の夜がまだ明けやらぬうちから起き出て、どっさりとお弁当を用意して、家族全員でドイヤリの畑へ煙草の虫取りに行くこととなった。
家の前の馬路川にかかった「堂面橋」を渡り、「主」の家(一番濃い親類)の裏道を通り過ぎると、そこからはもう坂道となる。近所の家の桑畑やさつまいも畑を縫って、雑木林の中の急な坂道を右に左に曲がりながら、四十分くらいかかって登ると、やっと我が家の山小屋に着く。父や母に「ドイヤリなんて変な名前どうしてつけたの?」と聞いてみたが、「どうしてだろうなあ」と言うだけで、誰も知らないらしい
 昔からそう呼んでいるから「ドイヤリ」なんだそうだが、昔、堂面地区に住みついた先祖が、共同で開墾して畑に造ったのだろうというが、持ち主は堂面に住む人たちの所有地で、地続きではあるがそれぞれ石垣で区切りができていて、その石垣で段々畑になっているが、昔からよくも崩れずに保っているものだと感心させられる。
真冬以外は季節の作物を作って、肥料も自宅から運び上げ、どの家の畑もよく耕してある。大抵の家の畑の端に二畳敷きくらいの小屋が建てられ、中に筵(むしろ)を敷いて
其処で家族が休息したり、昼食を摂るようにできている。
 私の家の畑は山の頂上に近い場所にあり、登る時は一番遠いが、朝日がよく当たり、小屋の前に立つと自宅までよく見渡せる斜面の場所であった。
  そして私の家の畑のほとりには、他の家の畑にはない物が植えてあった。それは「巴旦杏(はだんきょ)」の木と、秋になると熟す甘柿や、栗の木もある。私はそれら季節の果物が待つドイヤリへ来るのが楽しみであった。

 実をつけた巴旦杏の木

 兄たちも勿論、我先にと坂道をすべりながらも「巴旦杏(はだんきょ)」目がけて駆け上がった。枝一杯についた実は、ちょうど薄黄色に熟して食べ頃である。烏が一足早く味見をしたらしく、あちこちとつついて穴をあけてある。もぎたてをパリッとかじると、甘酸っぱい新鮮さが独特の美味しさであった。
 果実の木を植えたのは、仕事ばかりではなく、何か楽しみを与えようとする父母の心の表われの一つであったように思う。