美島本店事務所に就職

美島本店事務所に就職

 昭和十四年十月、邦文タイピスト養成所課程終了の証書を受けた私は、所長さんの紹介で徳島では老舗の、美島本店に就職が決まった。
 本店は徳島駅から西方向で、徳島連隊へは歩いて十五分程の所だった。次兄の家からバスで一時間ほどを要した。勤務時間は朝八時から夕方五時まで、日曜、祭日は休みで、給料は最初十五円だったように記憶している。
 美島家は古くから綿糸、綿布の工場を経営し、その工場は本店とは別の場所にあった。
 本店には事務所の他に製品を入れておく大きな「蔵」があり、また、家族の住む本家が同じ屋敷内にあって、事務所は通路に面していて、本家の建物が幾棟もその奥に連なっていた。
 事務関係の従業員は、五十歳くらいの支配人を中心に総務、綿糸、綿布、毛糸、会計、庶務等に分かれて、十五、六名の三十歳前後の男の人たちが机を並べ、店長の旦那様と副店長の若旦那様(旦那様の妹婿さん)が常に忙しそうに本家と事務所の間を行き来していられ、共に三十歳過ぎのように思えた。他に高知と大阪に支店があって、それぞれ四、五名の従業員が勤めているとのことであった。
 女子従業員の方は、電話交換手とタイピスト、それに雑用をする給仕の子の三名だったが、タイピストは私と交代に十月末に退職することになっていた。
 医院では病人の治療介助、それに日常の家事一般のことを四年間続け、大体身についてきていたが、今度は書類関係、人間関係、そしてタイプという機械を相手の仕事である。住む世界が急変したので毎日がとまどいの連続であった。
 これでは肝心の自分の勉強どころではない、どうしたものかと思案していた時、就職する前の九月に徳島県庁内で行われた専検の受験の結果、修身と家事の二科目とも、合格点を得た証明書が文部省から送られて来た。初めての受験で不安を感じていたが、八十点以上とれていたらしいので、何よりも嬉しく明るい報せに心から勇気付けられた。 次は来春四月の試験を目指して頑張らなくてはと自らを励ますのだった。