看護婦見習い時代 4 まずご挨拶から

まずご挨拶から
 一日の仕事が終わって風呂から上がると本場さんが「ご挨拶に行きましょ」と階段を上がって二階の廊下へ座り、先生と奥様の居られる八畳の部屋の襖を開け、「寝ませていただきます」と両手をついて頭を下げたので、私もその通り「寝ませていただきます」と丁寧におじぎをした。
 奥様は「はい、ご苦労さま、おやすみなさい」と仰ったが、先生は「あ、ちょっと待ちなさい」と呼び止めて、「本場君はもうよくわかっとるが、大西君は初めてだから言っておくが、挨拶のことだ。患者さんが来れば『いらっしゃいませ』と言うのは当たり前だが、私をはじめ家族の者と朝起きて初めて会った時は『おはようございます』。また、向こう三軒両隣りの人たちともそのうちに顔なじみになると思うが、朝、昼、晩と顔を合わせた時は、知らん顔をせず、必ず自分の方から挨拶の言葉をかけること。極く当たり前のことだが、だんだんとどうでもよくなってきがちなことだが、人との付き合いは、先ず、挨拶からということを今から頭に入れておくように。ではもう、やすんでよろしい」
 私は挨拶と言うことについてこんなに大切なことだと教えられたことがなかったような気がする。
 そういえばこの家では親子・姉弟の間で、「ありがとう」の言葉もよく交わしていることに気が付いた。


ちょっと、ホームシック
 患者さんの中には勤務の都合で、平日には来院できない人もいるので、日曜日を休診にはできなかった。しかし、子どもさんたちが休みなので、食事の支度はゆっくりで、日曜日は一時間くらい遅く起きてよいことになっていた。
 勤め始めて最初の日曜日の朝十時頃。「ごめん下さい」と玄関で大きな声がするので出てみると、思いがけずそれは昨年入隊した軍服姿の兄であった。兄は元気そうに日焼けした顔をほころばせて、びっくりしている私に右手を上げて敬礼した。
 歩兵第四十三連隊はバスで三十分程のところにあって、今日は休暇で外出を許され出て来たとのことであった。父からの手紙で、私がこの家に勤めたことを知り、寄ってみたそうである。
 大きな話し声がするので、先生は誰だろうと、出て来られた。兄に紹介すると兄は敬礼してから、「菊江の兄です。妹がお世話になります。田舎者ですがどうぞよろしくお願いいたします」
 先生は、「私は磯崎です。まあ上がってゆっくり話をして行って下さい」と言って下さったが、友達と待ち合わせているからと敬礼して、靴音を響かせて帰って行った。
 私はこの四、五日間はただ夢中で過ごし、肉親のことを考える余裕もなかったが、兄の顔を見てから急に、父や母にまだ手紙も出しておらず、その後の様子を何も知らせていないことに気づき、急いで手紙を書き始めた。
 遠ざかっていた我が家が、急になつかしく思い出され、涙ぐみつつ、日々の生活の様子を便箋に書きつづる私であった。