看護婦見習い時代 5 電話が恐い

電話が恐い
 この医院へ来て一ヶ月くらいは毎日があわただしく過ぎたが、また、すごく長かったようにも感じられた。
 大体の生活のリズムも分かってきたある日、本場さんの自宅から手紙で、お母さんが病気中なので一度帰宅するようにとのことで、土、日曜の二日間、休みを貰って帰郷することとなった。私は全面的に本場さんに頼っていたので、心細く思ったが、本場さんは「すぐ戻ってくるから大丈夫よ」と言って帰郷した。
 何となく不安な気持ちでいるとき、突然電話のベルが鳴り出した。私は電話のかけ方は一応教わっていたが、今まではほとんど本場さんが応対に出ていたので、まだ一度も電話で話したことがなかった。
 その頃の電話機は壁に向かって縦に取り付けられてあり、受話器は横に引っ掛けるようになっていた。鳴りっぱなしにしておくこともできず、恐る恐る受話器を外し、「もしもし」と言うと、「先生はいられますか?」と言うので、「はい居ります」「どうもありがとう」と切れた。

 

 奥様が二階の階段の上から「大西さん、今の電話どこから?」と聞かれたので
 私「わかりません」
 奥様「わかりませんって、あなた相手のお名前を聞かなかったの?」
 私「はい」
 奥様「どんな電話だったの」
 私「男の人の声で、先生いられますかと言いますので、『はい居ります』と言いますと、どうもありがとうと言って切りました」
 奥様「そういう時にはね、どなたでしょうかってお名前を聞いてくださいよ」
 私「はい」
 翌日の日曜日、本場さん早く帰って来てくれればいいのにと思っている時、また、電話のベルが鳴り出した。
 受話器を取ると、「今日は先生いますか」「はい」
 私は昨日のことがあるので「どなたでしょうか」と尋ねると「磯崎ですが、今日お昼頃お伺いしますからと言っておいて下さい」と言って切れた。
 先生に「磯崎さんと言う人からの電話で、お昼頃お伺いするからと伝えておいて下さいとのことでした」
 先生「なに、磯崎?どこの磯崎だ」
 私「分かりません」
 先生「名前だけではわからないではないか。電話では顔が見えないのだから、どちらの磯崎さんですかと、なぜ聞かなかったのだ」とまた失敗。
 そしてお昼頃になって来られたのは患者さんではなく、先生のご実家のお兄様であった。 電話のベルを聞いた瞬間に私の頭の中は真っ白くなり、先生が磯崎という姓であることをコロッと忘却していたのである。
 私はもう電話が恐くなって、どうぞもう電話機よ、鳴らないでおくれと祈るばかりであった。
 夜になってから帰って来た本場さんに、電話で失敗ばかりしたことを話すと、
「誰でも最初はそうなんだから、あまり気にしない方がいいわ」と慰めてくれたので、少し気持ちが楽になった。
 仕事が終わってお寝みのご挨拶の時には、きっと電話のことで叱られるだろうと覚悟していたら、案の定1時間近く、板の廊下に坐らされ、最初はきつい言葉だったが、だんだんと説得調となり、さまざまの例をあげて、電話応対の心得を教えて下さった。
 電話はとっさのことだから、最初は大変だと思うが、普段の言葉遣いも標準語を使うようにして、電話に慣れるようにと言われた。
 世の中で暮らしていくのは、単純なことではなく、いろいろのことを知って、それを身につけなければならないということをしみじみ知らされた。