看護婦見習い時代 3 仕事のリズム

仕事のリズム
 朝六時起床、大急ぎで布団を片付ける。なにしろ昼間の待合室が、夜十時過ぎの診療終了後、玄関を閉めると部屋中をクレゾール液で消毒して、私たち看護婦二人の寝室に早変わりするのである。
 先生一家は二階で生活しているので、六時半には奥様が下の台所で朝食の支度をはじめる。本場さんは二階の八畳の座敷の雨戸を開き拭き掃除をして、座卓を出し、下から食器類を運んで並べ、隣室の六畳に寝ている三人の子どもさんに、起床の時間であることを知らせて起こす。私も交代でやらなければならないので、本場さんの手順を見ながら後からついて回り、そのやり方を一つ一つをよく見ていた。
 家族の人たちが食事をしている間に階下の待合室、診察室、薬局室、茶の間等をはたきと箒で埃を掃きだし、土間から玄関を掃いて最後は、裏の水道からバケツに水を汲んで表通りにひしゃくで打ち水をする。
 七時半には長女のお嬢ちゃん(美代子さん)が女学生のセーラー服姿で登校、続いて長男の大きい坊ちゃん(誠さん)と、次男の小さい坊ちゃん(宏ちゃん)が、ランドセル姿で「行って参りまーす」と元気に出かける。
 家中の拭き掃除をして、二階の食器を台所に下ろして洗い、片づけを終わってからが、本場さんと私の朝食の時間である。朝早くからよく身体を動かしたのでご飯がとても美味しい。
 家の中が一段落した八時半頃になって、先生が起床し、洗面タオルを肩にかけて二階から降りて来られる。本場さんがそっと「宵っ張りの朝寝坊なんよ」と私の耳元でささやいた。
 奥様は再び先生だけの朝食を用意される。本場さんは二階の先生の部屋の掃除に行くので、また、私もついて行って見ると、そこは三畳の小さい部屋で、和箪笥と先生専用の机があり、難しそうな医学書がのせられていた。
 これで大体起床してからの仕事の順序が分かったので、早く慣れるようにしなければいけないと思った。
 診察時間は朝九時から夜十時までだが、午前中はわりに暇で、午後から夜になっての方が忙しかった。私は養成所の授業が午後一時から三時まで、一日二時間の勉強なので、お昼の食事が終わると白衣を脱いで着物に着替え、袴をつけて出かけるが、生徒は全員紺色サージの袴に、赤い十字のマークの入ったメダルを結んだ袴の紐にとめた姿が制服とされていた。
 医院を出るときは先生と奥様に「行かせていただきます」と挨拶し、通学証に先生の印を貰い、十五分程の道程を歩いて養成所の門を入り、事務所の窓口に通学証を提出してから教室へ入ることになっていた。
 授業を終えて帰るときは、窓口で下校時の時間を記入して貰い、これを帰院してまた、先生に見せて、「只今帰りました」と挨拶してから袴を白衣に着替えて勤務に就くのであった。
 午後四時過ぎになると、患者がいない限りまた、夕方の掃除に取り掛かり、一人は奥様の夕食の手伝いをして、材料の買出し等もするので、普段よく買う八百屋さんや魚屋さんなどを覚えるために、奥様について行った。しかし、魚屋さんは大抵決まった人が、活きのよい魚を大八車に積んで、朝十時頃町内を巡って売りに来るのが常であった。
 また一日置きに洗う洗濯物は、家族五人分をタライに入れて、洗濯板の上にひろげて固形石鹸をごしごしこすりつけて洗うのだが、自分の家での洗濯は石鹸で洗った後は、前の小川へ持って行って流水で濯いでいたので簡単だったが、ここでは石鹸で洗った後、三回水を取り替えて濯ぎ、両手で絞り上げて干すので、大きなシーツ等は相当の重労働に思われた。
 奥様は洗濯の基本になることをまず教えて下さった。それは、
1、白い物と色物を一緒に水につけない事
2、汚れの少ない物から先に洗う事
3、靴下や足袋類は一番最後に洗う事
 それから干すときの注意としては、パンツ類や腰巻などは、隣の家の人の目にふれないように他の物の陰になるように干すこと、そして「これはね、女としてのたしなみの一つなのよ」と言われた奥様の横顔が、きりっとして見えた。
 私は一日も早くこの家の暮らしに慣れようと一生懸命であった。でも、手の指先にはささくれとひび割れが次々と増えていった。
(4月10日にイラストを追加しました)