想い出のふる里1

kikue85sai2006-02-01

想い出のふるさと
 昭和六十三年(1988年)四月、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が完成して以来、私のふる里のすべてが大きく変化したが、ここには私が体験し、身にしみついた「想い出のふる里」を書いてみたい。まだ一度も行ったことのない孫たちの為に。
 まず東京駅から九州博多行の新幹線に乗る。岡山駅で宇野行の電車に乗り換え、終点で下車して高松行の宇高連絡線に乗る。船から眺めた瀬戸内海はきれいな水がキラキラと光り、大きな島、小さな島の間をすべるように通り抜け、一時間で香川県高松港の桟橋に着く。
次は国鉄土讃線で高知方面行の電車に乗るが、いつも発車までの時間が短いので、乗客は我先にと重い荷物を提げて駆け出すのが常で、駅の階段を上ったり下ったりしてホームへ着き、やっと乗れたと安心したとたんに発車するので、私などいつも足許がよろけて、思わず荷物にしがみついたりしたものだった。
 名高い金比羅様の高くて長い石段を車窓の右側に見上げてから、短いトンネルを十回近く出たり入ったりした後、吉野川の清流が見え始めると、もうわが徳島県だ。
 四国三郎と言われている吉野川に架かる鉄橋を渡って池田駅に停車すると、東京からの長旅も終わってほっとしながら駅前に出る。
 緑の山に囲まれて、何と空気が美味しいことか。いつものことながら、何とも言えない感動を覚え、大きく呼吸をしてからバス停に向かう。
 池田駅前から川之江(かわのえ)(愛媛県)行のバスに乗る。やがて吉野川上流にかけられた三好橋というつり橋を渡り右へ曲がって行けば「白地(はくち)」という所。だんだんと人家がなくなり、遂に山と山とが迫り合い、道は一本道。山ひだを縫うように流れる吉野川支流に沿って走るバスは上下に揺れる。(写真は三好橋)
 この小川は幅が狭いので台風の時など大雨で水量が増すと、バスが通る道路まで川になってしまい交通は遮断される。この辺りを「あど」といって、夜道は淋しくて女の人はとても一人では歩けない場所である。
 ここからまた幾曲がりもした所に「天神橋」がある。その橋のたもとに大分昔から一軒の茶店があって、夏はかき氷やラムネ、それにニッキ水など売っていた。ニッキ水はひょうたんの形をした十センチほどのガラスの瓶に、赤い色でニッキの香りをした飲み物が入っていて、私はそれが大好きだった。昭和の初め頃はまだバスが通っていなかったので、池田の町への二里の行き帰りに、それを買ってもらうのが楽しみで、足の痛さも我慢して、母について歩いたことを思い出す。
 天神橋からバスで五分程走ると我がふる里「馬路(うまじ)」である。田圃や段々畑に囲まれて人家が立ち並び、バスは「一藤(いちふじ)」に停車。いよいよここで下車する。
 停留所の裏側には小さなお堂があり、川に面した片側に古い大きな藤の木が、もう何百年も前から育って来て、まるで龍の如くくねりくねって枝を拡げ、毎年五月には、一メートル程の美しい花房を川面に垂らして咲き誇り、村の名所になっている。
 私の生家は一藤停留所から少し後戻りして小川に架かった「堂面橋(どうめんばし)」を渡り、田圃道を歩くと、もう目の前に見えている。庭先に柿の木のある家。家の裏は竹林で、段々畑が上に向かって連なっている。


私の生い立ち
 徳島県三好郡池田町馬路堂面、大正九年1920年)十一月一日生まれ。先祖はこの辺では一番古くから住んでいたそうで、「堂面(どうめん)の古屋(ふるや)」といわれ、同じ苗字の家が多いので、古屋を中心にして右隣の家を「東(ひがし)」、左下の家を「下(した)」、その左隣の家を「西(にし)」。坂を少し上がった所の泉が湧いている上にある家を「泉(いずみ)の奥(おく)」。小川と通路を隔てて向こう側にある家を「主(おも)」と呼んで、この家が一番濃い親戚だと聞かされていた。
 私が生まれる時、「東」の家に九十度くらい腰の曲がったおばあさんがいて、産婆さんの役目をして下さったそうだ。その時、私の父吉蔵さんは四十三歳、母ヨシさんは四十二歳だった。
 長女であるわたしの姉は十七歳で「泉の奥」の長男のところへ嫁ぎ、家にはいなかった。長兄は十一歳、次兄は九歳、その下の兄は六歳、いたずら盛りの男の子三人の下へ女児の私が生まれたので、父はとても喜んでくれたと、後になって母から聞いた。
 囲炉裏にかけた大きなお釜で産湯を沸かす父。ランプの明かりで赤ん坊をとりあげる腰の曲がったおばあさん。母は高齢出産で、しかも消毒らしいこともせず、よくも何事もなく済んだものだと、生命の神秘さと生きる力の不思議さをしみじみと感じる。
 母の姉さん(私の伯母)がお祝いに来て、菊の花が咲く季節に生まれたのだから、「菊江」という名前をつけたらいい、と言って下さったので、その通りにしたそうである。
 以来私はこの生家で二十年近く父母や兄たちと共に楽しい日々を過ごした。