葉煙草作りの総仕上げ

その一 葉煙草のし
 葉煙草栽培の農家では春蒔きの仕事が一段落すると、葉煙草のし(葉の皺を伸ばす作業)をして、専売局へ納付の準備をしなければならなかった。
 乾燥してしぼんだ葉は、乾かし過ぎるとぼろぼろに砕けてしまうので、適度に霧吹きで全体を湿らせるか、または一晩外の筵の上にひろげて夜露に当てて、全体が程よくしっとりとした感じになった時、挟み込んである縄から葉を外す。
 厚さ4センチ、巾50センチ、長さ1メートル程の重い板を作業台にして、この上に葉先を向こうに葉の元を手前にし、葉軸の中心から四方へ破かないように両手の指先を使って皺を伸ばし、よく伸ばせたら次の葉をこれに重ねて同じように伸ばす。一枚一枚次々と重ね、元の高さが一握りほどになれば、藁で束ねて結び、のし板の下に入れて重しをかけ、また、次の一枚から同じ作業を繰り返す。
 私も学校から帰ると毎日のように手伝うのが常であった。生(なま)の時ほどではないが、やはり手先が黒くなり、石鹸で洗わない限りいつまでも黒さと臭い、それに苦さが残っていた。父とは母たいてい夜の十時頃まで、ランプの灯りの下で作業を続けていた。
 伸ばして押しをした束をまた全部ほぐしながら、今度は形と色合いのほぼ同じ物どうしを再び重ねて束ねる最後の仕上げであるが、ランプの灯りでは、色合いがよくわからないので、これは昼間の作業であった。

=現在ではこれら面倒な作業から開放され、しぼんだままの葉を納付するようになったとのことである=

その二 明日はいよいよ専売局
 三好郡内の葉煙草は池田町の専売局へ納付することになっていた。納付の日時は予め通知があって、その日に間に合うように準備をするが、収穫した頃に、十二月には土葉(どば)、中葉(ちゅうば)、二月の納付期には本葉(ほんば)、三月末には残り全部と、三回に分けて行われていたように思う。
 きれいに仕上がった葉煙草の束を、四角いコモの上に互いに積み重ね、一定の目方になると上にもコモを当てて、縄でしばって荷作りをする。いつも十個以上はあった。
 明日の朝早く、大八車に積み込めばいいように、玄関近くの部屋にまとめ終わった父はホッとして、囲炉裏の前で一服しながら、
「さあ、明日はいよいよ専売局だ。ええ等級で売れるとええが…菊もよう手伝うてくれたきんのう。何ぞ、みやげを買うてこにゃなあ。何がええかなあ。」
私は学校で休み時間に、みんながゴム鞠をついて遊んでいるのを思い出して
「ほんならなあ、赤いゴム鞠がほしいなあ」と言うと、
「おおそうか、池田に売っとったら買うて来てやるわ」
私は寝床へ入ってからも、なんだかわくわくして直には寝付かれなかった。


 ざわざわと人声がするような気がして、目を覚ましてみると、もう父母と長兄は、大八車に荷作りをした葉煙草を積み込むところであった。夜はまだ明けやらず辺りがまだ暗いので、母が提灯の灯かりを高く上げて、荷積みの手元を照らしていた。
 川向こうの通路から荷車の音が聞こえ、提灯の火がゆれて見えた。兄が
「もう上馬路(かみうまじ)の方の人は行っきよるぜ」と言うと、父は
「そうじゃあのう。みんな早いのう」
そこへ東のおじさんが、
「おはよう。もうそろそろ出かけるかえ」と顔を出した。
「ええ、もうすぐ出かけるわえ。一緒にたのむわえ」
荷積みを終えた父は大八車の取っ手に提灯をぶら下げた。
長兄が車の後押し役で、いよいよ出発だ。
「ほんなら、気をつけて行ってなあ」と、母は提灯の火が遠くなるまで見送っていた。
ガランとなって散らかった家の中で、私はまだ眠い目をこすっていると、
「菊はまだ早いきに、もう一眠りしてもええぜ、風邪を引くといけんきんなあ」
「母さんは?」
「うん、お神様にお燈明をあげてからなあ。少しでも値よう買い上げてくれるように、拝んどかな、なあ」と言いながら、神棚のお水を取り替えて、お燈明ををあげて拝んでいた。
 この年はわりあい出来上がりもよく、よい値で引き取って貰えたので、赤いゴム鞠を買って来てくれ、もちろん、私は大喜びで、網に入った鞠をかばんと一緒に肩にかけ、学校の休み時間にはボール遊びに興じたものだった。
 当時を振り返りまだ、子どもだった私には、我が家の年収額など、知る由もなかったが、家族全員が一年がかりで力を合わせた労力に比べて、その報酬はあまりよくなかったのではないかと思う。
 神棚に燈明をあげ、どうぞよい値で買い取ってくれますようにと、必死の思いで手を合わせていた母の姿が今も記憶に新しい。