一泊二日の修学旅行

一泊二日の修学旅行
 昭和七年四月、小学六年生になった私は、香川県屋島栗林公園へ一泊二日の修学旅行に出かけることになった。行かない子もあって、男女合わせて二十名くらいだった。
 朝早く、土讃線三縄駅まで三キロ程の道を列んで歩き、高松行きの汽車に乗ったが、汽車に乗るのは初めての子も多かったので、もうそのはしゃぎようは大変なものだった。引率の先生が「君たち、修学旅行の感想を綴り方(作文)に書いて貰うから、見たことや、聞いたことなどよく覚えとけよ」と言ったので、みんな顔を見合わせ、「トンネル幾つあるのかな」「一番長いのは何分くらいかな」等と、手帳を取り出してメモをしている子もいた。
男の子は新しい詰襟の学生服で、女の子はみんなセルの着物(ウール地)に袴をつけていた。 その頃は祝祭日とかあらたまった時には、女子は必ず袴をつけて登校することになっていた。私は最初エンジ色の袴だったが、身長が伸びて袴が短くなったので、修学旅行には水色の純毛で新調してくれたので、ちょっと大人っぽくなったみたいであった。これは次兄が池田中学の庶務係として就職していたので、そのお給料の一部で私にプレゼントしてくれた物だった。
 一日目は屋島を見物して瀬戸内海の島々を眺めたりした後、旅館に泊まったが、他家に泊まるのは生まれて初めてのことで、多少の不安はあったが友だちと一緒なので、淋しさはなかった。
 翌日は栗林公園を見物することになっていたが、朝起きた時から体がだるく、顔がほてって熱がありそうだった。でも、一人だけ置いて行かれては大変と、我慢してみんなと一緒に公園内を見て回ったが、その時の様子がどうだったか全然記憶にはない。とにかく帰りの汽車で三縄駅に下車してから、我が家まで帰る三キロの道程をとても遠く感じて、やっとたどり着いたことを覚えている。