花嫁さんは勝手口からご入来

花嫁さんは勝手口からご入来
 電燈が入った翌年、長兄は徴兵検査も終わったことだし、そろそろお嫁さんを貰っては、との話が持ち上がっていたようであった。
 当時、跡継ぎの長男は徴兵検査を境にして甲種合格になった人は、二年間の兵役を終えて帰った時点で結婚する人が多かったが、長兄は乙種合格だったとのことで、兵隊には行かなくて済んだ。
 泉の奥へ嫁いでいる姉の夫の従姉妹で、井ノ久保という所の家に、とてもいい娘さんがいるからとのことで、話はどんどんまとまったらしい。大抵、本人同士の意志は余り重視されず、回りの人たちが相談して決めてしまうのが一般的な風潮で、兄の場合も例外でなかった。
 ある日の夕暮れ時、角樽(つのだる)を一対担いだ人を先頭に、たくさんの荷物に続いて花嫁さんが静かに歩いて来た。この行列は四キロほど離れた山の中腹にある井ノ久保の村から坂道を歩いて下って来たのである。
 近所の人たちの見守る中を、花嫁さんは角隠しをして、きれいな裾模様の着物を着てお仲人さんのおばさんに手を引かれ、お勝手口から入って来た。驚いている私の目の前で、金だらいに湯を入れて待ちかまえていた隣りのおばさんは、花嫁さんのたびを脱がせて足を洗い座敷へ案内した。私は汚れてもいない足をどうしてわざわざ洗うのか不思議だったが、お嫁さんはこれからこの家の人となって、よく台所を守っていかなくてはならないので、先ず、最初からこうするのが風習になっているのだと、後で母から教えて貰って初めて知った。
 花嫁さんは、床の間の上座に二枚重ねて置かれた大きな座布団に座らされてうつむいていた。横に並んで座った兄も、固くなって神妙に正座していた。
 

祝いの席に着いた人々が見守る中で三々九度盃が交わされ、その後は大酒盛りが夜明けまで続けられたそうであったが、途中から眠ってしまった私が、賑やかな大声に目覚めたは、近所のおじさんたちが庭先で、大丼になみなみと注がれたお酒を回し飲みして
 
   ここの座敷はめでたい座敷
           鶴と亀とが舞を舞う

と、みんなで大合唱をしてお開きになるところであった。
 兄は数え年で二十二歳、義姉は二十歳の若々しい夫婦であった。