村の四季 村祭り

 村祭り
 煙草の乾燥もおおかたは終わり、忙しい稲刈りも一段落した十月二十五日は、村を挙げて毎年行われる氏神様の大祭の日であった。
 鎮守様は「境の宮神社」で私の家から三キロ半くらい離れていて、小学校へ往復する途中にある。お祭りの大きな催し物はやはり「ちょうさ」であった。
「ちょうさ」は御神輿(おみこし)の御守り役として金銀はなやかな豪華絢爛たるもので、これに四人の少年たちが乗せてもらえるが、四地区から一名ずつ選ぶのがまた、大変だったようだ。
 その年の小学六年生か、高等科一、二年生で、しかも長男だけと限られていた。当時の家庭では子ども五、六人は普通で、十人以上の兄弟がいる家も珍しくなかった時代なので、選ばれた家は大変名誉なことで、縁起がいいと喜び、近所や親類ではお祝いを持って行き、共に祝い合っていた。
 いよいよ祭りの当日、幸運の四人の少年たちは、村の長老の手によって可愛く変装させられる。顔には真っ白くお白粉を塗り、口紅をさす。頭にはおかっぱのかつらをかぶり、赤い着物に黄色い幅広の襷(たすき)を、背中で大きな蝶結びとする。誰が見ても女の子としか見えない服装でちょうさに乗り込み、大太鼓を真ん中にして腰掛ける。

 

 ちょうさを担(かつ)ぐのは血気盛んな青年団の若者たちで、一年分のエネルギーをこの日に集結した如く、威勢よく村の端から端まで練り歩くのである。
 祭りの日が平日の場合は学校は特別休日になるので、朝早くから聞こえてくる太鼓の音に心も浮き浮きして、台所で忙しそうにご馳走の支度をしている母の手伝いをするのも、上の空であったように思う。
 お祭りには甘酒を作るのが習慣になっていた。そして今年獲れた新米を神棚に供える母の手作りの五目ずしには、松茸やこう茸、ネズミ茸に栗も入って、とても美味しかった。
 私は母が縫ってくれた晴れ着を着て近所の友だちや姪たちと打ち連れて氏神様へと急ぐ。途中で御神輿の先払いをしている赤い顔の鼻高天狗のお面をつけた人に追っかけられそうなので、恐くて皆で物陰にかくれて、行き過ごさせたことを覚えている。
 御神輿はキラキラとしていかにも重たそうで、壮年の人たちが担いでいた。
 ちょうさの周りには大勢の見物の人たちが集まって、乗っている少年を見ようとしていたが、もう誰だか見分けがつかず、女の子としか思われなかった。乗り手は夏休みが終わった頃から練習したバチさばきもあざやかで、両手に握ったバチを頭の上でカチカチと鳴らせては、「はりわいせー、これわいせー」とはやし言葉の声をあげてはドンドン、ドンドンと大太鼓を打つ。
 早く担ぎ上げて貰いたいので、「やってくれ」、ドンドン、ドンドンとせきたてる。担ぎ手の青年たちもお神酒が大分きいて、全身に活気が漲ってきたので、いよいよ渡御に出発である。道中で待っている民家の人たちから次々とお神酒が出るので、担ぎ手がだんだんと酔っ払ってくると、横倒しにされることもあるので、少年の身体は四隅の柱にそれぞれ結びつけてあるので安全だとのことだった。

 渡御に出てしまって淋しくなった神社の境内を飾るのは、獅子太鼓と獅子舞であった。
 獅子太鼓を打つのは二男か三男で、これも四地区から一人ずつ選ばれていた。私のすぐ上の三男の兄が獅子太鼓を打つ方に選ばれ、獅子舞は青年団の中から二人ずつ選ばれていたようであった。兄もやはり太鼓の打ち方を、学校の帰りに社務所で練習していた。
 当日の兄は花模様の着物で(後日これは女物に仕立て替えて私が着せられた)黄色の鉢巻と、赤い襷がけでなかなかいい恰好で勇ましく太鼓を打っていたことを記憶している。
 獅子太鼓は境内の横の方で行われ、最初は長々と身体を伸ばして眠っていた獅子が、太鼓の音に目を覚まし、太鼓を打つ少年に襲いかかるが、少年はひるまず太鼓を打ち続け、襲いかかる獅子の大口に太鼓のバチをかませながら防いでいるうちに、神の助けで獅子は治まり、最高潮の太鼓の音がいつしか穏やかな響きとなって、獅子は再び眠りにつくという筋道だったように母が解説してくれた。
 すべての行事が無事に終わり、人々が帰路に着くのは秋の日が沈む夕暮れ時であった。村祭りには隣村の親類の人たちが来たり、此方から出かけて行ってご馳走を頂いて、その地の氏神様にお参りしてお祭りの賑わいを見物に行くのが常であった。
 この年も例年通り隣村の「白地(はくち)」から、父の弟の家の従姉妹三人が、母親に連れられて来ていたので、私の母も一緒に見物に行っていた。
 従姉妹たちを誘って出店を回り、キャラメルとか竹笛のついた風船など、お小遣いの十銭玉を握りしめながら、何を買おうかと品定めしていたが、私より一つ年上のMちゃんが「菊江はん家へ来られるのも、もう今年だけじゃなあ」と言ったので、私はびっくりして「どうして?」と聞くと、
「うちたちなあ、もうすぐ、来年の春になったらなあ、北海道って所へ行くんじゃ」
「何しに行くんじゃあ」
「何しにって、もうずっと向こうへ行ってしまって、白地にはもう帰って来んのじゃあて」
「そんなことうそじゃろ?」
「ほんまぜえ。ほんなら、おかあはんに聞いてみな」
 ふり返って母たちの方を見ると、母と叔母は一本杉の根元にしゃがんで、何やら深刻そうな顔で話し込んでいた。
 夕食を済ませた後、叔母と従姉妹たちは名残惜しそうに何度もふり返り手をふりふり夜の道を遠ざかって行った。
 後で思えば、この日のお祭りのもてなしが、別れのパーティーになってしまったようである。
 翌年の春、叔父一家は北海道開拓団と共に村を離れていった。
 あれからもう六十余年、祭り太鼓を思い出すごとに、北海道の何処かで従姉妹たちは無事であろうかと、深い感傷に襲われる。そしてあの勇ましく太鼓を打った兄も、もうこの世にはいない。